赤松健の「アンチに終わコンと言われたら、その作家は2度喜ぶべき」はアンチへの痛烈な皮肉
「終わコン」の意味を知らない人も居そうなので、最初にはてなキーワードの引用を貼っておきますね。
終わったコンテンツ、の略。或る作品がもう時代遅れとなったのを揶揄する意味で使用される例が多い。
「オワコン」、「終コン」とも表記される。
終わコンの意味をフォローしたところで、早速本題に入ります。
さてさて、赤松健先生のTwitter上での2011/8/14(日)の以下の発言が、ネットで話題になってますね。
これ、読み方変えると赤松先生のアンチへの強烈な皮肉でもあるんですが、お気づきですか?まずは1つ目。
裏を返せば「アンチは自分より社会的知名度がある人間を叩いてる、可哀想な人間」だと言ってるのと同じです。余談ですが「湧く」という表現(蛆虫が湧くにも使う「湧く」です!)を使ってるあたり、赤松先生の憤りが垣間見れて怖いっす(((( ;゚Д゚))))
そして2つ目。
これも、「大ヒット作を生み出した、価値の高い作者」と「終わコンと言って叩いてる、中身の無い連中」の対比な訳で。
以上の2点を意識して赤松先生のツイート読み返すと、アンチへの赤松先生の静かな怒りが伝わってくる、名ツイートだと思えてきませんか!?
以下、チラシの裏。赤松先生ってアンチの事なんて歯牙にもかけてない冷徹さをもった人だと勝手に誤解してました。でも、このツイートから「終わコンと馬鹿にされたら、やっぱり頭に来るフツウの人間」のようですね、ちょっと親近感が湧きましたw
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コメント
6067:
1つ目の、ある程度の人気作家じゃないとアンチなんて一人も湧かない、と言うものに対して
「アンチは自分より社会的知名度がある人間を叩いてる、可哀想な人間」だと言ってるのと同じですっていってますけど、なぜ同じなのかわかりません
アンチなんてのは基本、作品がつまらないと思った人がなるもので、その人の知名度は関係ないのでは?
たとえば有名な芸能人がネギまを見ていて最近面白くないからアンチになったとしても、その人が有名な事に変わりはないのですから、その説明は間違いとなるのではないでしょうか
それに「自分より社会的知名度がある」と「可哀想な」の部分が取って付けた様な感じがします
ある程度の人気作家じゃないとアンチなんて一人も湧かない、と言う文章の中のどこに上2つの「」部分の意味が入る言葉があるのでしょうか?
これについては2つ目の、一度でも大ヒット作と認定されないと「終わコン」とは永久に言ってもらえないに対して
「大ヒット作を生み出した、価値の高い作者」と「終わコンと言って叩いてる、中身の無い連中」と言っているものについても同じで
「価値の高い」と「中身の無い」の意味が文章の中からはどう見ても読み取れません
なんか無理やりそっち方向に話を持って言ってる様にしか感じないんですよね
6069:
どちらかというと同業者に対してのエールではないかと
赤松先生は普段から基本的に仲間や同業者、そしてファンに対してのみ言葉を発しているように思えます
感情的なアンチに何を言っても無駄ですからね
先生が前に仰っていた感情と論理の話を思い出していただければわかりやすかと思います
今回の発言は主観抜きの客観的意見として捉えた方がより自然な気がします
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